2007年10月04日
2007年10月04日
人形作り初日2
9:00~12:00 役員全員で藁スゴキ。千歯こぎ(竹野支部持込)&人力にて作業。
13:00~15:00 藁スゴキの残りと真竹採取二手に分かれる。ズラットピットさん宅の竹林にて真竹約60本採取。
15:00~17:00 竹をバーナーで炙って所定の寸法に折り曲げ加工。その後竹のささくれと節をサンダーにて研磨。
秘密の虫追い祭りマニュアル本発見!人形作りのすべてが記載されてます!
明日の担当は船越支部・川会支部です。
13:00~15:00 藁スゴキの残りと真竹採取二手に分かれる。ズラットピットさん宅の竹林にて真竹約60本採取。
15:00~17:00 竹をバーナーで炙って所定の寸法に折り曲げ加工。その後竹のささくれと節をサンダーにて研磨。
秘密の虫追い祭りマニュアル本発見!人形作りのすべてが記載されてます!
明日の担当は船越支部・川会支部です。
Posted by JAにじ青年部 at
10:11
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2007年10月03日
2007年10月01日
2007.虫追い祭り
今年はやります3年に一度の 『虫追い祭り』
開催日は、平成19年11月19日(土)18:30~会場は、西鉄バス停より南へ1分、田主丸中央橋上流の巨瀬川
※当日は、宣伝PRの為、朝より各会場を廻り歩きます
(予定では、にじの耳納の里・耳納の市会場・田主丸商店街などなど決定しだい報告します)
≪はじめに≫
300年の歴史をもつ、田主丸の伝統芸能『虫追い祭り』
この祭りは古く江戸時代から、この筑後地方で行われていましたが、戦後しばらく途絶えていました。
この祭りを33年前にJAにじ田主丸地区青年部・パイオニアクラブの手で復活させ、3年毎に開催し、今年で11回目を迎えました。
≪祭りの内容紹介≫
虫追い祭りは平安時代の武将、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)と手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)の二体の人形と馬とで構成される戦いです。
人形(高さ3m)は竹とわらで本体を造り、鎧、兜、陣羽織などを着せた武者人形です。馬(高さ3m、長さ5m)は竹で組み、わらを張り仕上げたものです。
人形は鉦、太鼓に合わせ、一体を6人で躍らせますが、激しい動きなので3組から4組の交代が必要です。馬は20人から30人入り、鉦、太鼓、担ぎ手など合わせてこの祭りには100人以上が必要です。
このように虫追い祭りは、竹とわらで造った馬を20数名の若者が肩で担ぎ、人形は、鉦・太鼓のお囃子に合わせ、会場を練り歩く勇壮な一種の喧嘩祭りです。
全国には、様々な形で虫送りの行事として残っていますが、田主丸の虫追い祭りのような人形を戦わせるのは、現在ではあまり例をみません。
≪祭りの由来≫
源平合戦のひとつ、北越前篠原の合戦で斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)と手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)が戦った際、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が稲の切り株につまずき転んで、手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)に討ち取られたので、それを恨んだ実盛(さねもり)の霊が虫の姿となって稲に害を与えるようになり、その霊を慰めるために、この祭りを行うようになったと伝えられています。
それぞれ定められた場所で合戦を行い、勝ち負けを決めようとしますが、戦いの途中で馬が現れなかなか勝負をつけさせません。もともと馬は実盛(さねもり)の馬なので、実盛(さねもり)が負けそうになると暴れだすということです。
現在3年に1回の開催で、昼の部では各会場や商店街などで合戦を行い、夜の部では松明を灯しての巨瀬川の中での合戦で終わりとなります。
≪この祭りはどのようにして始まったのでしょうか≫
本来は、稲の害虫を鉦・太鼓を打ち鳴らし、夜は松明をつけ追い払うのが目的であったが、江戸時代、虫追いをした地方は、害虫のせいで米のできが悪かろうということで、年貢が割り引かれたとのことで、この虫追いは、表面は害虫退治であるが、その実、年貢をまけて貰うための行事であった。
このように、この祭りは年貢米を少なくするという実利的な面と、さらには生活を楽しむ農村部のレクレーションのひとつとして、今日まで守り伝えられたということです。
近年では、人員確保の面でなかなかできにくくなっていますが、我々JAにじ田主丸地区青年部・パイオニアクラブの手によって引き継ぎ、いつまでもこの祭りが続けられるようこれからも頑張っていきたいと思います。ぜひ当日はご来場下さい!
開催日は、平成19年11月19日(土)18:30~会場は、西鉄バス停より南へ1分、田主丸中央橋上流の巨瀬川
※当日は、宣伝PRの為、朝より各会場を廻り歩きます
(予定では、にじの耳納の里・耳納の市会場・田主丸商店街などなど決定しだい報告します)
≪はじめに≫
300年の歴史をもつ、田主丸の伝統芸能『虫追い祭り』
この祭りは古く江戸時代から、この筑後地方で行われていましたが、戦後しばらく途絶えていました。
この祭りを33年前にJAにじ田主丸地区青年部・パイオニアクラブの手で復活させ、3年毎に開催し、今年で11回目を迎えました。
≪祭りの内容紹介≫
虫追い祭りは平安時代の武将、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)と手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)の二体の人形と馬とで構成される戦いです。
人形(高さ3m)は竹とわらで本体を造り、鎧、兜、陣羽織などを着せた武者人形です。馬(高さ3m、長さ5m)は竹で組み、わらを張り仕上げたものです。
人形は鉦、太鼓に合わせ、一体を6人で躍らせますが、激しい動きなので3組から4組の交代が必要です。馬は20人から30人入り、鉦、太鼓、担ぎ手など合わせてこの祭りには100人以上が必要です。
このように虫追い祭りは、竹とわらで造った馬を20数名の若者が肩で担ぎ、人形は、鉦・太鼓のお囃子に合わせ、会場を練り歩く勇壮な一種の喧嘩祭りです。
全国には、様々な形で虫送りの行事として残っていますが、田主丸の虫追い祭りのような人形を戦わせるのは、現在ではあまり例をみません。
≪祭りの由来≫
源平合戦のひとつ、北越前篠原の合戦で斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)と手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)が戦った際、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が稲の切り株につまずき転んで、手塚太郎光盛(てづかたろうみつもり)に討ち取られたので、それを恨んだ実盛(さねもり)の霊が虫の姿となって稲に害を与えるようになり、その霊を慰めるために、この祭りを行うようになったと伝えられています。
それぞれ定められた場所で合戦を行い、勝ち負けを決めようとしますが、戦いの途中で馬が現れなかなか勝負をつけさせません。もともと馬は実盛(さねもり)の馬なので、実盛(さねもり)が負けそうになると暴れだすということです。
現在3年に1回の開催で、昼の部では各会場や商店街などで合戦を行い、夜の部では松明を灯しての巨瀬川の中での合戦で終わりとなります。
≪この祭りはどのようにして始まったのでしょうか≫
本来は、稲の害虫を鉦・太鼓を打ち鳴らし、夜は松明をつけ追い払うのが目的であったが、江戸時代、虫追いをした地方は、害虫のせいで米のできが悪かろうということで、年貢が割り引かれたとのことで、この虫追いは、表面は害虫退治であるが、その実、年貢をまけて貰うための行事であった。
このように、この祭りは年貢米を少なくするという実利的な面と、さらには生活を楽しむ農村部のレクレーションのひとつとして、今日まで守り伝えられたということです。
近年では、人員確保の面でなかなかできにくくなっていますが、我々JAにじ田主丸地区青年部・パイオニアクラブの手によって引き継ぎ、いつまでもこの祭りが続けられるようこれからも頑張っていきたいと思います。ぜひ当日はご来場下さい!
Posted by JAにじ青年部 at
10:47
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